- 3.11 地震発生2時間前
- ■ 大阪からのお客さん(うなぎ親子)を連れ、碁石海岸北緯39°線で、そう簡単に見ることのできない浅瀬のエメラルドの海を見て感動する。
- ■ 私は20代の頃、米国へ太平洋を渡る外国航路に乗り込んでいた。条件が重なった時にだけ見られるエメラルドに輝く海を3回だけ見たことがあります。この海を見ているとあまりにも綺麗で、身も心も洗われる!!そのような体験の中から「エメラルドの海のように私はなりたい」を座右の銘にもって生きてきた。
- ■ 帰社して30分後・・2時46分本社社長室にて大地震。新工場セントラルキッチン(CK)より「地震で何もかもガタガタです。すぐ来て下さい」とのメールが入る。
- ■ 本社従業員の安全確認をするとともに間違いなく来る津波に備えるよう伝え、新工場に直行するが、地震の被害に唖然とする。
- ■ CKの従業員に対しても大津波が来るから、ここを動かないよう指示。海岸を見ると早くも第一波が押し寄せていた・・。それはまさに日本がひっくり返ってしまうような大津波だった。
- ■ その後CKに戻り大津波の現状を話・・近くの受託施設3か所を回る。
- ■ 5人の孫探し、3番目が誕生日だった。自宅には帰れず・・。
- ■ 夜、車の中で、このような津波・災害に遭わない場所を選んだ事が正解だったと思う。
- 17時30分本社に帰る。対策本部を設ける
- ■ プロパンガス会社の専務を探すが連絡がとれず。
- ■ 従業員の安全確認。気仙沼営業所、受託施設、他業務中で連絡の取れない者が15人位いた。女房以外全員無事の確認できる。
- ■ 翌日から炊き出しを行う事を伝える。
- ■ ライフラインが完全ストップした事で、その確保による役割分担
- ■ かまど造り、古材廃材、薪の確保 飲料水(沢水)確保係、ガソリン確保係
- ■ 米とプロパンガスは社長がやる。
- ■ 帰宅の出来ない従業員全員、会社に泊まる。
- ■ 冷凍庫は開けるな。電気の電源ブレーカを切ること。ガスの使用禁止の指示を出す。
- 3月12日早朝より、今まで経験した事のない給食戦争始まる
- ■ 火を焚くもの/水を汲みに行くもの/ご飯を炊くもの/おにぎりを握る組
- ■ 給食受託先/市役所・警察・消防・電力・一般市民へ炊き出し
- ■ ガス会社が流され専務と連絡がとれず。いつもならすぐ来るのに?
- ■ 米は近くのショッピングセンター、米屋を回り確保。
- 無償炊き出し/3月12日~4月11日まで
- おにぎり/2万個、簡易弁当/4万個、市役所には毎日1,000食~2,000食
- ■ ロータリー活動では、今回の震災で地区の支援、相談窓口になったので、その対応に追われる。携帯電話2台で対応する。
- ■ そんな中色々な人との出会いがありましたが、一番涙した事は、韓国と大船渡の「架け橋の翼」で来大した大学生からのメール『濱守さん何度メールしても電話しても繋がりません。ただ一言〝元気だよ〟それだけで良いので連絡ください。』このメールを読んで、色々な人達が心配してくれているんだと涙を流す。